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【打楽器の神様・タムタムの王者ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ】直線上に配置

 私の名前は、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ。3人の妻と33人の子供がいます。私は、ここ西アフリカセネガルの首都ダカールで、打楽器の演奏を一生の仕事として生きています。私は読み書きを覚えるよりも先に打楽器の演奏を覚えました。8歳の頃の事です。もちろん子供の私にはセネガルの伝統の打楽器タムタムを自分の手で作ることはまだできませんでした。拾って来た空き瓶や空き缶を日がな叩いていました。丸太を刳り抜き、羊の皮を張った本物のタムタムを早く叩きたいと思ったものです。学校に行くようになってからも、私の頭の中にはタムタムの事しかありませんでした。ちゃんと学校に通おうと思って家を出ても途中でタムタムの音が少しでも耳に入るともうダメでした。「学校などどうでもいい。この音のする方へ走るんだ。」と心も魂も叫び出します。家族や親戚には散々小言を言われました。「学校へ行け。でなかったら手に職を持て。タムタムを叩いたって食べてはいけない。」しかし、子供の私が選び取った職業はやはりタムタムの演奏者だったのです。

  私はセネガルで初めて子供達のための打楽器教室を開きました。それ以前には、タムタムの演奏法と、セネガル伝統のリズムをきちんと教える場は、どこにもありませんでした。私はマラセックという名の先生に個人的にタムタムを教わりました。マラセック先生は、会社の会計係として働いていましたが、大変優れた打楽器演奏者で、また尊敬できる知識人でもありました。「しっかり学ぶなら最高の打楽器奏者に育ててあげよう。」先生は約束してくれました。私は先生の言葉を信じ、ひたすらタムタムを叩き続けました。ある日、先生は言われました。お前は、ダカール1、いやセネガル1、アフリカ1の演奏家になるだろう。」私は未だに現役です。自慢する気はありませんが、私に肩を並べる演奏家はまずいないと思っています。同時に、セネガルのリズムを愛し、信じ、タムタムを叩き続ける次の世代を育てなければとも思っています。

 タムタムのリズムを産み出したのは、女性達です。女性達は、穀物を粉にします。臼を杵でつきながら、時々臼の縁でリズムを刻みます。臼には色々な大きさがあり、色々な音色があります。低い音も高い音も出すことができます。時には、10人・20人もの女性達が一斉にリズムをとります。中には、粉引きを忘れ、杵を捨てて、リズムに合わせて踊りだす者も出てきます。今はもっぱら男性が演奏するタムタムですが、その由来を辿れば、女性達の粉引きのこの仕事に辿り着くのです。

 自然は、聴く耳を持つ者にとって音楽です。ひところ私は、ひどい不眠症にかかっていて、眠れない苦しい夜を何日も過ごしていました。ある雨の晩、思い立って耳に聞こえる自然の音すべて記憶しようとしてみました。雨の音、風の音、木の葉のざわめく音、窓枠の鳴る音、みんな記憶に留めました。明け方外が静かになると、私は頭の中になり続ける音に耳を澄まし、それをタムタムで再現してみました。自然のリズムが、、私にタムタムを叩かせているのだと感じていました。

 自然が音楽なら人生もまた音楽です。息子と市場へ行った時の事です。私は例によって全ての音、全ての声に聞き耳を立てていました。羊の鳴き声、物売りの声、静かな会話、声高な口論。私は立ち止まり息子に言いました。「市場は音楽だ。わかるか。」すると息子は怪訝そうな顔で、「お父さんは、いつも音楽のことしか考えていないのですか。」と聞き返してきました。「もちろんだ。」と私は答えてやりました。「全ては音楽だ。あらゆるものが持っているリズム。それが私には聞こえるんだ。
リズムは、私の情熱であり、愛であり、信ずるものなのだ。毎日の暮らしも、リズムに満ちている。油のはねる音、鍋を混ぜる音、野菜の煮える音。ぼんやりしていれば、どの音もどの声もただ騒がしいだけだろう。しかし、私には全てがリズム、全てが音楽に聞こえてくる。」

 セネガルのバトンガールの結成にも、私はお手伝いすることになりました。1960年、フランスから独立したセネガル共和国は、初代のサンゴール大統領のもと、様々な方面で民族化を勧めました。バトンガールの行進も、アフリカらしくしようということで、私は大統領からそれにふさわしいリズムを作って欲しいと頼まれました。そこで私は、お祝いの場でバトンガール達が踊るのに適した快いリズムを創作したわけです。おそろいの制服もその時新しく作り直しました。なるべくアフリカらしさを出すようにはしましたが、ブーツは残すことにしました。新しく生まれ変わったバトンガールが最初に行進した時の様子は忘れられません。サンゴール大統領はもちろん、外国からのお客様にも大変好評でした。今もバトンガールは、セネガルの若い女の子達には憧れの的になっています。

 私は今やっと真のイスラム教徒になれたと思いました。瞑想し、コーランを読み、説教を聞き、数々の質問を重ねてきました。私の子供達にも同じく真のイスラム教徒になれるよう教育しています。私は常に祈りを捧げ、神が勧めることは全て行う様にしています。私は信仰の面でも誰にも負けないと考えています。

 セネガルのレスラーは、タムタムの音無しには戦えません。試合に望む前にレスラー達はタムタムに合わせて踊ります。この踊りの中で、レスラー達は次第に緊張感を高め、戦う勇気と力を奮い立たせてゆきます。

 タムタムのリズムは、女性の心にも直接届きます。あなたが一人で寂しいのならタムタムを叩くことです。あなたに意中の人がいるならタムタムを叩くことです。相手の目を瞬きせずに見つめながら思いの丈を込めてタムタムを叩きます。人生は音楽。人生はリズムです。恋もタムタムのリズムが実らせてくれます。熱の入った演奏を繰り返すうちに彼女は思うでしょう。「この人は、私を見かけると決まって私を見つめて一生懸命タムタムを叩く。」私も何度こうして気持ちを伝えたことか。

 タムタムを叩いていると何者かが踊り出すのが見える時があります。普段は見えないものです。私はそれは精霊に違いないと思っています。コーランを唱えながらリズムを刻んでいると、タムタムの中から精霊が追い立てられ外に現れ出るのだと思います。タムタムは精霊が作った楽器です。ですから、タムタムには精霊が棲みついています。演奏に熱が入れば入るほど演奏しているのは私ドゥドゥ自身ではなくなってゆきます。このドゥドゥと他の何者とが同じ一つのタムタムを一緒に演奏しているのです。赤ん坊の洗礼の日には、私も必ず儀式に加わります。赤ん坊の左右の耳にコーランの言葉を唱え、そして「お前はこの世に生を受けた。お前がイスラム教徒となるよう、ここに洗礼を施す。」と言い聞かせます。それから赤ん坊の親族が、かわるがわる同じ言葉をささやいてゆきます。みんなから祝福を受け、贈り物をもらい、そしてこの日から赤ん坊はイスラム教徒になったとみなされます。私は子供達に、自分のリズムを信じるように教えています。
自然の中に隠れているリズム、人生の中に溢れているリズム、それを小さいうちから感じ取り、自分のものにして欲しいと思っています。そしてできるなら自分で新しいリズムを作り、そのリズムのままに生きて欲しいと願っています。

 私は、ある時「やってみよう。できないはずはない。」と思い立ちました。女性の打楽器合奏団を作ろうと考えたのです。女性がタムタムを叩くなど前代未聞の事でした。私は、私に少なからぬ人数の娘を与えてくれた神に大いに感謝します。私の娘と、息子の妻全員を集めると23人になりました。私の母の名は、クンバローズと言い、そのローズから合奏団をロゼットと名付けました。ロゼットは私の鼓動を流れる血のリズムを受け継いだ合奏団です。1985年、私は自分の合奏団とそして娘達と作った合奏団ロゼッタを引き連れてフランスに行きました。ナンシーで開かれるジャズフェスティバル出演のためです。私は外国での公演は何度も経験していますが、娘達のほとんどが、これが初めての海外旅行でした。しかし、この時一番浮き浮きしていたのは、娘達より私自身でした。定められた礼拝、神々の祈りの言葉は同じです。最後に許されている個人的な祈りも、公演を前にしたこの時はみんな同じでした。午後遅くナンシーの町に着きました。夜の開演までの時間、街を見学して過ごしました。外国の風物が、私達の中に流れるセネガルのリズムを一層際立たせてくれるかもしれません。稽古は、国で充分に重ねてきました。演奏には自信があります。会場に近付くにつれ、メンバー全員の鼓動が同じテンポで打ち始めたのを感じていました。

 世界に広まったジャズのルーツはアフリカにあります。アフリカの自然、アフリカの人生から生まれたリズムが、世界に受け入れられています。私が一生を託したセネガルの音楽、セネガルのリズム。それは
世界の人々と分かち合えるものだと信じています。私の夢は、男女の合奏団のメンバーと共に世界ツアーを行う事です。その夢が実現したなら、私達のリズムをもっと多くの人に知ってもらえ、そして世界の様々な土地のリズムを、私達が知る事ができます。自然も人生も、世界はすべて音楽、すべてはリズムです。

MESSIN'AROUNDのVOLUME2に掲載された、
NAT DOVE氏のコラムを再掲します。

『ブルースピアノの文化と歴史』

 ブルースピアノは廃れつつある。現在ブルースといえば、ただ見当違いに大きな音を出すギターソロや、大きな音を出すだけがその存在を示しているとでも言う様なハーモニカがその要素となっている。その理由は、今日の音楽業界や−般社会の動きが原因となっている。芸術としてのブルースピアノは成長を止めてしまっているのである。
 ブルースピアノは、かつて豊かな生活をエンジョイしつつブルース音楽にもなった楽器のひとつである。ピアノは明るく円熟した音を、そして、よりエレガントな雰囲気をも醸し出す楽器である。ブルースピアニストは、たった−人でもバンドマンになれる。なぜなら、ブルースピアニストは、トラディショナルブルース、R&B、ソウル、シャッフル、ブギ・ウギなど、全てのブルース音楽のビートを創ったからだ。左手のベースラインは、今日のロックンロール、ジャズ、ソウル、カントリーのベース音へ発展している。
 かつてほとんどのピアニストはゴスペルも演奏した。なぜなら、ほとんどの教会にはピアノがありそれはその地域で唯一のピアノであったからだ.ゴスペルの父、Thomas A.Dorosey は、初め Georgia Tom として活躍していた。彼は、最も偉大なブルース歌手であるMa Rainyの伴奏看でもあった。そして素晴らしいゴスペルソングを作曲している。
 鉄道工事がアメリカを横断するとき、バレルハウスやブギ・ウギピアニストは土曜の夜、労働者たちの集まるサパークラブやフィッシュフライの店、ダンステリアやハウスバーティーなどで演奏したものだった。正にアメリカンカルチャーの一部である。
 プギ・ウギバレルハウスピアニストは人々を躍らせる為に演奏した。活動的な左手のベースラインは様々なダンススタイルのビートへと発展していき、アメリカのザ・ボーリングザジャック、ブラックボトム、ザリンデイホップ、そしてかつて流行したツイストで使われている。これらのダンスはアメリカ人の自由な創造精神(知的、哲学的、そしてある程度社会的な)の助けとなった。 このアメリカからの世界への贈り物を学究的に分析するとき、これらは、不滅で、真に価値のある貢献物であるという結論に至る。
 当初ブルース、バレルハウス、ブギ・ウギは過激な音楽であると思われていたが、これらがそれまでの世界の音楽に革命をもたらし、そして世界の主要な音楽とまでなったのである。


…end

第28回春陽音楽会プログラム
Djembeじゃんべジャンベ
笛と太鼓の会「初」
http://sound.jp/sabar/

★ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ公式サイト「サバール・パラダイス」

★ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ関連記事集

http://ymf219220.hp.infoseek.co.jp/dudunrpo.html