〔緒言〕
明治になって、楽譜(おんぷ)を使った日本語による形式の日本歌曲が作られた。それは、日本の歴史と共に、唱歌・軍歌・芸術歌曲も含め国民の中に浸透していった。また、作曲家、作詞家が協力して、世界の芸術歌曲に匹敵する作品を創作する活動もなされた。日本古来の伝統音楽の能狂言・民謡・民話・長唄などの特徴を取り入れ工夫された作品も出現した。いずれにせよ、これらは人間の声を通して表現されるものである。日本歌曲もドイツ、イタリアの発声を日本歌曲にあてはめただけで(長所もあるが)、科学的、実証性に乏しい。これを解決する一つの道は、語感を生かした、日本人の体質に適した声で、独特な国民性の味の出る、歌い方を学ぶこと。まず、歌にとりついた妄想的なしがらみを、音楽的な共鳴によって取り除くことである。
(イ) 共鳴面積の問題

発声するための前提として、法則がある。それは、男女いずれの声にしろ、発声の焦点として眉間(みけん)の奥あたりのひびき(頭部共鳴)を常に忘れないこと。この感覚を怠ると、音楽的にも生理的にも、よくない結果として表れる。
現在までの発声は、横隔膜に息を吸い、腹部から発声することが定説になっている。したがって、ひびくための発声器官は鼻腔・口腔・咽喉(のど)など、発声時、空洞になっている管と、気管支を通り、二億余の肺胞(はいほう)とつながる胸部、これは、空洞でなく、濃い密度のもので、肋骨も含めて胸部共振のひびきと言ったほうがよいと思う。
即ち、腹部(横隔膜)で支えた息を、A図の共振面積で、ひびかせるだけである。
音声学の米山文明博士の「私の診た名歌手」によれば、名歌手は実に、咽喉(のど)の伸び縮みの変化がすぐれ、また、共鳴しやすいように顔面、顎(あご)の骨などが出来ているそうである。すると、われわれ一般の人は、音楽的な歌い方は、いくら練習を積んでも不可能なのだろうか。
いや、そうではない。ここである実験を試みてみよう。
(ロ) 共鳴面積の拡大による共鳴の増大
勿論、横隔膜に息をしっかり支えるのは(イ)の腹部からの発声(A図)であるが、今、両膝(ひざ)が発声の出発点と考えてみると(B図)となり、直接ひびく、共鳴面積がA図部分より、はるかに大きいことに気づく。今、腹部・腰・足筋(膝までの脚の骨や肉)の部分も共鳴する部分として考え、膝の振動(ゆれ)の増減を作用させると、底力のある深い共鳴音となる。(C図 イ+ロの総合共鳴)
尚、口唇(くちびる)、頭角度の調節(自分の声が一番ひびきそうな頭部の位置を、頭部を上下しながら決める)、膝を中心とした力学的反動作用の実習法などをコントロール出来ることが肝要となる。
森山教授も、足筋は発声共鳴上、もっとも満足する状態をつくると言っている。
(ハ) 日本歌曲の実例
●からたちの花 ●ふるさと(斎藤佳三曲) ●九十九里浜
最後の「さいたよ」の「よ」の高音のPPP(ピアピアニシモ 大変大変小さく)を、聞こえる声で出すためには(ロ)の膝のところを使った大きい面積を使った発声の仕方を応用する。 終わりの「うるむつきよや」の「よや」の高音のmf(メゾフォルテ 少し強く)からP(ピアノ 弱く)へ、移る歌い方の技術。 はじめの荒れ狂う波の表現は、膝を激しく動かして作る。美的な楽音で大きい音を出すには、膝反動のエネルギーで表現できる。


〔結論〕
日本人は古来より、侘び・さび・しぶみ・かろみ・粋艶(いきつや)を好み、情緒・うらみぶし・義理・人情の中で生活してきた。日本歌曲もこれらと、からみあって、さらに洗練されてゆくことと思う。
常に完全なるものはない。人間は過程的な生き物であることに念を置き、一歩一歩進んでいこう。

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